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豊川海軍工廠戦没者供養塔前で

豊川海軍工廠戦没者供養塔前で、西本敦さんが一人から始めた平和行進の歴史 、豊川海軍工廠への空襲話を東三河を共に歩く会の副会長(愛知県原水協副理事長)安間慎さんの話でセレモニーがスタートしました^^
今日は6月1日で、何時も平和行進が来る日だからと、ご夫婦で供養塔に花を届けてくれました。日本共産党豊川市議団の佐藤さん、安間さん、豊川市職労、地元新婦人などから16人が行われました。参加者全員から一言発言をしてもらいました。豊川市職労委員長は、今年が最後だから歩けなくて残念と発言されていました。また、セレモニー参加の地元の人全員がペナントを買っていただきました。ありがとうございます。

● 豊川海軍工廠
 豊川海軍工廠は、海軍兵器の生産を目的として、昭和13年に旧宝飯郡豊川町・牛久保町・八幡村にまたがって建設することが決定され、昭和14年12月15日に開庁しました。機銃及び弾丸や艦船で使用する測距儀、双眼鏡、射撃装置などを生産し、機銃の生産に関しては日本最大の規模で、東洋一の兵器工場といわれました。工廠の発展は、人口の増加や各町村の結びつきを強めることとなり、豊川市の誕生・発展に大きな影響を与えました。しかし、昭和20年8月7日の米軍B29爆撃機などによる空襲で壊滅的な被害を受け、2,500名以上の人が犠牲となりました。

  2020/06/01   あいち平和行進
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